Group Exhibition | Camera Lucida, 2012

このグループ展は、参加者がロラン・バルトの『明るい部屋』*1を読み、それぞれの個人的な感覚に基づいてテーマを浮かび上がらせることを目的として企画されました。バルトは、映像を「Camera Lucida(明るい部屋)」と結びつけて考えるべきだと提案しており、映像は「対象をイメージと直接結びつけるもの」としています。このバルトの考えをもとに、参加者は自分の気づきや考えを共有しながら、展示のプランニングを進めました。



バルトの提案を受けて、私は幼少期によく訪れていた公園を再び訪れました。そこで浮かび上がったのは、目には見えないが確かに感じる「気配」でした。私はこの「気配」を、自分の「記憶」と捉えました。当初の目的は、この見えないイメージを写真を通して表現(represent)することでした。しかし、公園の写真を撮影してみると、それが必ずしも私が感じた「気配」を映し出しているわけではないように思えました。それはむしろ、「気配」から切り離され、断片的な「場所の様相」そのものでした。   

撮影された公園の写真は、まるで宙吊りの断片のようになりました。これらの写真は、場所や事物から引き剥がされたものとして、「記憶」の当事者によって辛うじて繋がれている痕跡のような存在です。このように現れるものと消えるものが行き来する過程、あるいはその繰り返しは、決して反復できない時間や記憶を逆説的に体現しているのではないでしょうか。   



*1 ロラン・バルト『明るい部屋―写真についての覚書』(1997年発行)